起(原文)
耳中常聞逆耳之言 心中常有拂心之事 纔是進徳修行的砥石
若言言悦耳 事事快心 便把此生埋在鴆毒中矣
耳中常に逆耳の言を聞き、
心中常に心に拂(もど)る事あらば、
これすなわち進徳修行の砥石なり。
もし言々耳を悦ばし、事々心を快くせば、
すなわちこの生を鴆毒の中に埋むるがごとし。
承(意訳)
耳が痛い忠言や諫言、自分にとって不快に感じる言葉があってこそ、人は初めて自分の欠けている点に気づくことができます。そうした言葉は、徳を磨き、人として成長するための砥石のような役割を果たします。
反対に、心地よい言葉ばかりが耳に入り、常に気分よく過ごせる環境は、一見すると幸福に見えます。しかし、それは徳を磨く機会を失い、知らず知らずのうちに人生を毒の中に埋めてしまうような状態とも言えます。
指導的立場に立つ人ほど、耳の痛い意見をどう受け止めるかが問われます
その点については、以前「トップの心得」について触れたことがあります
👉 前集003|トップの心得 ~真意はわかりやすく、自己アピールは控えめに~
転(別視点)
もっとも、心の安定を保つためには、自分を肯定する言葉も必要です。耳が痛い指摘だけを受け続ければ、人は疲弊してしまいます。
問題なのは、純粋な励ましではなく、考えもなく並べられる追従やお世辞です。そうした言葉は、一時的には気分を良くしますが、長い目で見れば成長を妨げてしまいます。
結(まとめ)
自分にとって耳が痛い忠言や諫言は、避けたくなるものです。しかし、それこそが人を成長させる貴重な機会でもあります。
心地よい言葉に囲まれるよりも、ときに不快な言葉に耳を傾ける姿勢を、大切にしていきたいものです。

